#TDLef23_vol.4『山田ひろしさんのお話』


というわけで
エフコラのメジャーデビューに向けて
デビュー曲「Today」の作詞を
担当してくださることになった
「山田ひろし」さんとの
初対面の時のエピソードをひとつ。


あ、山田さんもフジパの専属作家(作詞家)さんで、
Sammyさんは山﨑さんと同様にフジパ専属作家の皆さんの楽曲の
仮歌を歌うことが多く、山田さんの歌詞
ともご縁が深かったんですね。

 


さて、例によって
乗る電車をヨミ間違えたワタクシは

(すごくややこしい話で恐縮なのですが、、、)
Sammyさんがフジパと契約を交わした当初、フジパは四谷にあったんですが、
その後に会社がそっくりそのまま青山に引っ越して、表参道と外苑前の間
(現在は外苑前側に引っ越してるみたいですが ←ややこしや〜w)に
なってしまい(その後エーベックスがそのビルに入ってさらにややこしくなったのですがwww)
Sammyさんはいつも渋谷乗り換えの時に銀座線にするか半蔵門線にするかで迷って
(外苑前の方が駅の規模が小さかったので出口で迷う確率が少なかった、、、が、
半蔵門線は外苑前には止まらなかった、、、が、銀座線よりも空いてて快適だった
、、、が、本数が少なかったetc.)さらには地上でも迷子になることが多かったそうです。

 

山田さんと
「フジパに14時集合」
なのにも関わらず

13時50分の時点で
青山1丁目のあたりを
走っておりました。

(さらにややこしい話で恐縮なのですが、、、)
そう、初めての相手とミーティングということで粗相があってはいけないと
緊張気味だったSammyさんは、いつもより早めに家を出て、
落ち着ける方の半蔵門線を選んだにも関わらず、表参道で降り損ねて
青山1丁目まで行ってしまい、ここは電車で引き返すよりも走った方が早いと判断、
外に出て、通りを歩くオシャレな人種の方々に「外苑前ってこっちでいいんですよね?」
って確かめながら(そう、逆方向に行かないように ← ココは正しかったwww)
フジパに向かったとのことです。

 


要は降りる駅を
間違えたわけですね。

もとい、

14時を1、2分過ぎた頃に
フジパのビルへ到着。
(許容範囲内w)

エレベータに乗って
フジパの階で降り
一応、トイレで汗を拭き
化粧直しをしてから
(大事大事www)

山田さんとの待ち合わせの場所である
フジパスタジオへ入ったのでありました。

山田:「あ、どもども〜!」

サミー:「こんにちは、はじめまして。」

山田:「あ、、、。はじめまして、ではないんだよね。」

サミー:「(げっ、、、?)、、、す、すみませんっ!!」

山田:「あ、でなくて笑。先日コピーバンドのイベントで、ね?」

サミー:「(ほんげぇ、、、?)」

山田:「あはは、分かんないよね。僕、黒子だったから。」

サミー:「あーーーっ!!逆にそれで分かりましたっ笑!!」

山田:「そうそう、Gueenのスパーク山田です。」

サミー:「わ〜、どもども〜!!座椅子JOPLINですっ!!」


そうなんです。山田さんは作家さんの肩書きを持ちつつ
実は「Gueen(グイーン)」というQueen(クイーン)の
トリビュートバンドの黒子稼業もなさっておられたわけです。

 

サミー:「そう、実は私、フレディマーキュリーが死んだ時に
ちょうどロンドンにおりまして〜!!」

山田:「マジすか〜〜〜っ?!!」

というわけで
トリビュート話からイギリス話に火がつきまして
軽く1時間が過ぎようとしてた頃、

山田:「いけないいけない、僕、あと30分ぐらいしか時間なくて。」

サミー:「あ、いけないいけない笑!!、、、で、何の話でしたっけ。」

山田:「僕、あなたのデビュー曲の作詞をすることになりまして。」

サミー:「あ、そうでした!!」

山田:「じゃ、イギリスから帰国した後は鹿児島には戻らずに、、、?」

ってな感じで
初っ端から見事に私の緊張を解きながら
うま〜い具合に私のそれまでと現状を探りつつ

なるべく私の「言葉」を使って
私の歌う曲の歌詞を書こうとしてくださっている
山田さんの姿勢に感動を覚えながら

無事に初対談を
終えることが出来たわけなんです。


その後、Sammyさんはデジモンワークで山田さんと再会した時、

「いやぁ、あん時(エフコラデビューの時)、僕なんかが歌詞書いちゃっていいのかな〜?って正直思ってたんだよね。作詞をするタイプのアーティストが歌う曲に歌詞をつける作業って実は結構プレッシャーで!!!しかもデビュー曲でしょ?あん時、実は内心アリマが怒ってたんじゃないかって、、、?www」

って言われたそうです。

 

、、、でしたでした!!

ってか、全然怒ってなんか
いませんでしたし

むしろ逆に
光栄に感じてましたし

ま、当時
右も左も分からなかった
未知の(J-POPの)世界に
足を突っ込むのに

すでに
業界で成功をなさっていながら
トリビュート業にも通じていて
人生を楽しんでおられる山田さんは
ものすごく心強い
存在だったわけで。

いまだに
エフコラデビュー曲の
「Today」は

まるで
自分で歌詞を書いたって
錯覚するほど
(ずーずーしい話ですけどwww)

今でも
自分の代表曲だと
自負してます。


その割にはエフコラライブで
歌詞を
よく忘れてたとか、、?

 

もといw。

そんなこんなで
フジパはアーティストの
プロダクション的な機能は
もってなかったので

ワタクシは
パイオニアLDCの傘下にあった
「パイオニアミュージックワークス」
という事務所に
所属が決まったわけなので
アリマした。

つづく