Sammy
の
ドレミエピソード
【エピソード0】
泣かない、騒がない、しゃべらない、そんなよくできた子供だった。
【エピソード1】
幼稚園時代
ヤマハエレクトーン教室に通いはじめる。
はじめての練習曲はビートルズの『All my loving』だった。
そのときの楽譜の上に『レノン・マッカートニー』と記載してあったので
レノン・マッカートニーという人がいるのだと、その後しばらく誤解をすることになる。
【エピソード2】
小学校時代1
1年生のとき『マッチ売りの少女』の朗読芝居で童話暗唱コンクールに出場。
『中村メイコ賞』を受賞。
これをきっかけに、人前で何かを表現することの快感を覚える。
小学校時代の低学年では合唱部、高学年では演劇部に所属。
合唱部では、ソプラノもアルトもできる便利な子だということでアリガタがられ、
演劇部では、白雪姫の意地悪なお妃様やシンデレラの意地悪なお姉さんなどの
みんながやりたがらないヨゴレ役に興味をもったため、やっぱりアリガタがられる。
4年生のとき、NHK全国読書感想文コンクールに応募し、特選入選する。
副賞として自身の作品をラジオで朗読。
このときラジオから流れてくる自分の声を聞き、不思議な感覚を覚える。
【エピソード3】
小学校時代2
はじめてひとりで美容室に行った時
美容室のお兄さんにオフコースのアルバム『I love you』をダビングしてもらう。
タイトル曲『I love you』の中で使われていた”ジョンレノンの死亡ニュース”から
ビートルズというバンドの存在を教わり、ここでやっと『レノン・マッカートニー』の謎が解ける。
6年生のとき、テレビ局主催の勝ち抜きのど自慢大会に出場してグランプリ大会で準優勝する。
審査員だった三浦友和に『歌がうまいですね』とホメられる。
その番組をきっかけに、三遊亭楽太郎出演番組のキッズ司会に抜擢される。
そのまま、子役やアイドルのオーディションを受けるなどして
芸能界入りを意識してみたりもするが
この世界でひとりで生きぬいていくにはまだまだ力不足であると認識し
とりあえず学業に専念する。
【エピソード4】
中学校時代1
中1の時、家庭の事情で流浪生活を余儀なくされる。
最終的にお寺に預けられるのだが、生活のBGMがお経に変わったため
大勢の人間の肉声ユニゾンが生み出す倍音(低音)の心地よさに目覚める。
【エピソード5】
中学校時代2
中3の大事な受験シーズンの頃、塾の先生に恋をする。
当時、カセットテープに想いを録音して手渡すというテープレターがはやっていたため
自分もレコーダー2台でエレクトーン演奏に声を重ねるという
当時としてはハイテクな録音を決行。
ちなみにこの時演奏したのは、高中正義の『ブルーラグーン』であった。
ここで録音の楽しさに目覚め、デモテープ作りに発展する。
【エピソード6】
鹿児島県立甲南高等学校時代
高校時代の体力テストで、踏み台昇降運動が学年1位という成績をおさめる。
回復力が早いというだけのその身体能力を生かそうとロックバンドを結成しボーカルを担当。
また、さらなる肺活量強化のため水泳部に入部するが
水泳じたいの才能はなかったらしく
3年の最後の大会のとき、お情けで大会出場メンバーに入れてもらう。
そのとき、『サミー先輩!!ビリじゃなかったらアイスクリームおごってあげる!!』
という後輩のやさしい言葉に励まされ、すざましい自由形フォームで見事ドン2を獲得。
このとき『あきらめない』と『なりふりかまわず』というふたつの精神を知る。
また、高校恒例行事の桜島ロードレースで
もしも女子で20位以内に入ったら"みとめてやろう"という男子の挑発にのってしまい
毎晩近くの公園で自主トレにはげみ、本番見事ギリの19位を獲得。
このとき『日々是鍛錬』と『有言実行』という、ふたつの座右の銘を得る。
【エピソード7】
鹿児島大学(理学部数学科)時代
フォークソング同好会に入部。
ビブラートが似ているという理由で、先輩から"JANIS JOPLIN"をすすめられる。
このときはじめて耳コピーというものを経験。
これがのちに『座椅子JOPLIN』へ発展するとはこのときは夢にも思っていなかった。
また、テレビ局で中継ADのアルバイトをしていた時
ディレクターの指示によりレポーターとしても出演するようになる。
このとき表舞台と裏舞台の二つの世界を同時に経験する。
授業料全額免除者、並びに、日本育英会第一種奨学金受給者という
本来なら何はさておいても勉学の追求に勤しむべき身でありながら
勉学以外の活動に熱を入れ過ぎたため大学より留年を言い渡される。
そんな中、ライブハウス『BLUES T-BONE』にて企画したジョンレノン10周忌追悼ライブのときに
客席にいた外国人に英語をけなされて傷心、渡英を決意し、まずは東京へ。
当時東京に住んでいた姉のアパートに居候をしながら
日本アイ・ビー・エム本社財務給与に勤労学生として契約入社。
あまり責任のない業務で留学資金をこつこつ稼ぐ。
この時の稼ぎと大学時代にアルバイトで貯めたお金を足して
見事イギリス留学への単身チケットを手に入れる。
【エピソード8】
イギリス時代
ロンドンから南にバスで2時間ほどの田舎町ボーンマスにあるサウスボーン語学学校に入学。
当時イギリスのパブでは日本のカラオケ(カリアゲと発音されていた)がはやっていたので
よくパブに出向きスヌーカーの合間にカラオケバックに歌ったりしていたのだが
ある日試しに自分の足下に帽子を置いて歌ってみたところ、知らない間に1ポンドが入っていることに気づく。
このとき、新たな高揚感を味わう。
また、週末はスクール主催のロンドン郊外観光ツアープログラムに参加。
そんな頃、フレディマーキュリーが死去し、町中がフレディ追悼ムード一色となる。
このときはじめて『THE QUEEN』の存在を知るのだが
フレディが生きているうちにそのチャンスがありながらクイーンのコンサートに行かなかったことを後悔し
その後は観光ツアーよりもコンサート観賞を優先するようになる。
ポリス、クラプトン、そしてなぜかダイアナロスetc...
ビートルズに関しては、リバプールツアーやロンドンツアーなど何種類かの観光ツアーに参加するが
期待が高すぎるともれなく裏切られるということを学ぶ。
その後は自分企画のビートルズナイトを開催するようになる。
とくに仲の良かったイタリア人の女の子の家へのホームステイが急遽決定し
スクールを一時休学、つまり、ダブル休学というものを経験することになる。
渡伊後、ロミオとジュリエットの舞台となったベロナという街に住む。
ベロナ滞在中、フローレンス(フィレンツェ)、ローマ、ベニス(ベネツィア)などの観光もすました後、
再びイギリスに戻り、スクールを卒業して帰国、鹿児島には戻らずそのまま東京にとどまる。
【エピソード9】
東京時代
再び勤労学生として日本アイ・ビー・エム(本社財務給与)に契約入社。
任期満了に伴い同じく勤労学生として同社(本社資金管理)へ契約入社。
任期満了に伴い鹿児島大学へ退学届を提出。
日本アイ・ビー・エム(六本木アイラス事業部)へ正式入社。
1年後同社退社。
シンガーソングライターとして音楽活動を開始。