薩摩有馬 VS 京都角倉《前編》

はい、、、

2014年1月10日12時35分
じーちゃんがばーちゃんのもとへ
旅立ちました。

 

そう。

4年前の今日、*1
*1 Sammyのうばじゅ便〜2010 1/28記事参照。)

一足先にばーちゃんが
天国行きのバス*2
乗っていったんですけど
*2 デンベエさんの追悼はまた追って。)

 

で。

ばーちゃんのお葬式の時は
じーちゃんが喪主をつとめたのですが*3
*3 Sammyの裏じゅびん〜2010 2/4記事参照。)

実際、じーちゃんは
それがばーちゃんの葬式だと
理解しているわけではありませんでした。

というのも、
じーちゃんとばーちゃんは
晩年は二人そろって
認知症を患っておりましたから。

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帰鹿するたびに私は
つくづく感じておりました。

人は死への恐怖から逃れるために
ボケちゃうのかもしれない 

・・・って。

まぁ、この二人に限っては
「二人お揃い」ってのを
貫きたかっただけなんじゃないか
とも思ってみたり…ははは….

 

そう。

二人はとっても仲良しでした。
毎晩手をつないで一緒の布団で寝てました。

ほんと、二人の間に入っていけるのは
猫ちゃんたちぐらいだったんじゃないかと。

(ここから長くなりますのでお茶など片手にどぞ。)

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さて、ここからは遠慮なく、、、、

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シノブ(じーちゃん)   ミツエ(ばーちゃん)

ぬあぁぁぁぁぁ!!!(↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑)
(似とる...とくにミツエが…)ボソッ、、、

も、、、、もとい(^^;)、、、

二人とも大正7年(1918年)生まれの
午(馬)年でした。

もっともシノブの方はアメリカ生まれなので
干支という概念があったかどうかは
不明なのですが、、、。

ーえと、、、。

 

えと、,,, 順を追って説明しますね。

まずはシノブ側から。

IMG_2102-1024x764

シノブのとーちゃん、つまり、
ヒサミのひぃじーちゃんは
明治16年(1883年)に
薩摩のお武家さんの家に生まれました。

17歳のときにアメリカに渡り、
以来25年間もの間日本庭園を造る
庭師の仕事をしておりました。*5 

*5 「Sammyの放浪記」内 さくらまつり記事もちらり参照。)

ー 略 ー

そうこうするうちにシノブが生まれ
シノブが7歳だか8歳だかになった頃
日本(鹿児島の伊集院)に戻るのです。

カキカキ…
*おそらく第2次世界大戦勃発を危惧して、、、
、、、のことだと思いマス

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IMG_2105

一方、ミツエは、
シノブの生まれた3ヶ月後に
京都の名門「角倉家」の分家に
生まれました。


*ミツエは京都の豪商「角倉了以(すみのくらりょうい)」*6の末裔にあたります。

Statue_of_Ryōi_Suminokura
*6 Wikipedia記事〜角倉了以参照。)

 

ミツエは幼い頃、いわゆる
公家系の旧華族様の諸事情により
薩摩の「瀬戸山家」の養女となってます。

当初はその気位の高さからか
瀬戸山家の暮らしに馴染めず
周りからおとなしい性格だと
認識されてたみたいです。

、、、んが。なんのなんの。

小学校にあがってからは
木登りをしたりその辺を走り回ったり
徐々に「お転婆さん」の才覚を
あらわしはじめます。

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そんなある日、
ミツエの通う小学校に
遠い外国からシノブという男の子が
転入してきました。

当時の子供たちは
「男女ともに袴に裸足」という
スタイルが主流だったのに対し

シノブはブラウスに蝶ネクタイ、
そしてサスペンダー付きのズボン、
ソックスに革靴といういでたちでした。

目の色こそ青くはなかったのですが
周りは坊主頭という中で唯一の七三分け
あろうことかポマードで整髪され、
てっかてかに光ってたらしいです。

ミツエはいきなり目の前に現れた
そのアメリカかぶれなシノブを見るなり

「わっぜぇよかぶっせぇ!」とひとこと。
(鹿児島弁で「何よ、かっこつけて感じ悪い!」の意。)

次の日の朝に、しれっと
廊下にぬかみそをばらまいて
見事、革靴のシノブを滑らして
大喜びします。

あれ?

 

うふふ。
聡明な皆サミはもうお気づきですよね?

ー 好きなコにちょっかいをかける的な?!

そうなんです。
実はミツエはそんなシノブ
ひとめ惚れしてしまったのです。

 

はいからさん。
まさにそんな感じだったんでしょうね。

haikarasan

【大和和紀著「はいからさんが通る」より】
(きゃー♡少尉〜〜〜!伊集院だし^^忍だし^^♡)

 

もとい。

一方、シノブの方はというと
残念ながら当時ミツエに全く興味を示さず、、、。

それが何とも気にくわないミツエは
ますますシノブに喧嘩をしかけるようになり
二人はみるみる犬猿の仲になっていきます。

そんなこんなで時は流れ、
ミツエは女学校へ、シノブは一高へ。

そう。
二人は一旦離ればなれになるんですね。

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んでもって月日は流れて・・・。

ミツエは女学校を卒業し、
職業婦人として働いておりました。

年頃になってもミツエのお転婆ぶりは健在で
この時代の、しかも薩摩という地で
真っ赤なミニスカートをはいて
さっそうと街を歩き回っていたそうです。


さすが、はいからさんっっっ

 

そんなある日。

やはりミニスカートで歩いていたミツエに
後ろから声をかけてしまった
イケメン男性がおりました。

はい。そうです。
それが、シノブだったというわけです。

でもここだけの話ですが
ミツエは、いわゆる
振り向かないで美人(脚美人…?)」、、

(あーん。ごめんなサミwww 私はミツエが大好きよ〜〜〜!!)

 

シノブは、ミツエが振り向いた瞬間に
あいた、しもた!(あちゃー、しまった!)
と思ったらしいです。

が、とりあえずアメリカ人気質のせいか
一応は礼儀として
喫茶店に誘ったらしいです。
(それがミツエだとも気づかずに、、、)

で、向かい合って言葉を交わした瞬間に
とうとうミツエが気づきましたっっっ!!

 

ー 「おまんさあなシノブさんじゃなかけ?」
(あなたはもしかしてシノブさん?の意。)

←シノブ。

 

そんなこんなで、
一瞬で若き日の想い出が蘇り
ミツエの猛アピールにより
めでたく二人は結ばれた・・・
っちゅーわけで。

     

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ふむふむ、、、
 大正ロマンか、、はたまた昭和モダン、、?
いずれにせよ、ドラマティックですよね。

 

で、今回の本題です。

やっと本題すか、、、

 

 

ー 薩摩有馬 VS 京都角倉。

二人は結婚後も
仲も良かったのですが
喧嘩も多く・・・(^^;;;;;;;;)……

なんせ片方はお公家さん、
もう片方はお武家さん、、、

ええ、二人ともプライドの高さは
チョモランマ級でございます。

ひとたび喧嘩がはじまると
自分たちのプライドをかけて
家柄etc.を競い出すというのが恒例でした。

先制攻撃はだいたい
ミツエだったらしく、、、

IMG_2105
ー「ごぶれさぁな!あたいがどん角倉家はお公家さんじゃっど〜!!」

とまずはお決まりの印籠を差し出します。

 

一方、シノブはというと、
アグレッシブな血統で対抗します。

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ー おいんげぇはレボリューションな家系じゃしと。

 

そう、英語混じりでインテリをアピールしつつ
シノブのとーちゃん(寅太)の
アメリカでのアグレッシブな武勇伝にはじまり

シノブのじーちゃん(つまり寅太のとーちゃん)と
シノブのひぃじーちゃん(つまり寅太のじーちゃん)が
揃って西南戦争に出陣したという
アグレッシブなエピソードを持ち出します。

カキカキ…

*ちなみに幕末アグレッシブ代表ともいえる
薩摩藩士の有馬新七さんとも親戚みたいです。
(伊集院のお墓が同じ敷地内です。)

さらにさかのぼって久留米藩主や
有馬温泉の播磨藩主etc.、、、
(ちょっと怪しいw)

しまいには飛鳥時代にまでさかのぼって
「藤原鎌足」に無理矢理つなげた家系図
を持ち出してきます。
(だいぶ怪しいwww)

IMG_2105
するとすかさず
「もしもシノブにナンパされてなかったら」
という切り札を差し出すミツエに対し、

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「振り向かないで美人」
の件を持ち出してくるシノブ。

すると、

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ー あたいがかごんまでいっばんはっめにミニスカートを履きもしたと。

(鹿児島で一番最初にミニスカートを履いたのは私、の意。)

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ー うんだもしたん。おいが日本でいっばんはっめにトメイトーも

ポテイトーも食ったたっが。
(日本で一番最初にトマトとポテトを食べたのはワシじゃ、の意。)

と、家柄はもはや関係なくなって
ただの夫婦喧嘩に突入、、、

 

ー あたいんげぇ、、、

ー おいんげぇ、、、

 

ええ。なんのことはない。
ただの仲良しさんだったのでした♡

 

カキカキ…

ちなみにミツエがシノブにナンパされたとき
ミツエは有馬家よりも由緒正しいお家に
嫁ぐことが決まっていたらしいのですが

それを覆したのは他ならぬ
ミツエ本人だったので
ミツエもそのへんはあまり
深く掘り下げなかったみたいデス。

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「薩摩有馬 VS 京都角倉」《後編》につづく。

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