徒然記
Vol.9
『サザエさん』
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はてさて
神無月ですね
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あ。えっと
そんな中途半端にひねらなくても
あっさりと、10月ですねって
ポップに始まりゃぁいいじゃん?
とかって
思ったりもするんですが
先日、お客サミに
最近、徒然記が淡白になってきましたねって
ぬるりとダメだしなどいただいたものですから
やっぱプロとして
(なんのプロやねん!)
やる気みせとかないと。。。ってことで
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ところで
旧暦の10月ってことは
現在の9月のことでしたっけ?
ってことは
『さぁて、長月ですね』
ってのが正しいんでしょか?
おっと、長月 神無月。
矢野さぁぁぁん!
もとい。
日にちって毎年微妙に
ズレこむんでしたっけ?
そういえば
今年の十五夜さんは
ジミヘンの命日と
かぶってましたね
去年の十五夜さんは確か28日ぐらいまで
ズレこんでましたが・・・?
えっと話がそれましたか
もとい。
時節カレンダーって
ほんとめんどくさいですね
今と昔、、、ってのもめんどくさいですが
そう。邦と洋。
西暦を昭和に直すのってめんどくさいですよね
ジョン・レノン追悼ライブを12月8日に仕込もうとしたとき
あのぉ、サミーさん
現地時間で12月8日でも日本時間では12月9日ですよね?
だからジョン・レノントリビュートはイギリス時間の12月9日にやるのが正しいんじゃないんですかね?
とかって
ライブハウスのスタッフくんとかに突っ込まれるのと同じくらい
めんどくさいですね
2月29日生まれの人もめんどくさいんですってね
強制的に28日生まれにされるんですってよ?
ま、3月1日とどちらか好きな方を選べって言われるのも
かなりめんどくさいと思いますけどね
ってゆーか、円周率が『3』ってのもいかがなものかと・・・
うんぬんかんぬん
えっと。
で、
なんの話でしたっけ?
そうそう、神無月。
神無月。といえば
10月4日はジャニスの命日ですよね
ふむふむ
ライブじゃないですか。
座椅子の7つ道具のメンテは大丈夫でしょうか?
あ!
壊れてたトンボめがねを新調しとかねばっ!!
とはいっても
以前
新宿のガード下とかで
1000円ぽっきりで売ってた
あのいわゆるジャニスモデルのまん丸のトンボめがね
がないんですよぉぉぉ!!!
どこ探してもぉぉぉ!!!
渋谷、原宿、浅草、
裏の路地あたりの怪しいお店も全部チェックしたのに
ないんですよぉぉぉ!!!
どこ探してもぉぉぉ!!!
で、
「とんぼメガネ」で検索してヒットした
めがねのサミーさん(←そう、偶然にもサミーさんって方で)とやらに
質問メールを出してみたんですけど
このサミーさんにもどーやら
どこで手に入るかとか分からないらしいんですよぉぉぉ(泣)!!!
で、
メガネ博物館とやらも覗いてみたりしたんですけど
やっぱりないんですよぉぉぉ!!!
どこ探してもぉぉぉ!!!(泣)
というわけで
とりあえず
さすがのおいらも断念して
オーダーメイド注文してしまいました(うふっ。)
はい。
メガネ屋さんに置いてあった
レンズの見本を持ち上げて
『あのぉ、。。サイズと色はこんな感じのレンズと、、、』
『このフレームを組み合わせて下さいませんかぁ?』
言ってみたら
こんなん出来ましたぁ〜!!
ってわけで♪
いや〜ん♪ウッキ〜!!
フルッフゥ〜って盛り上がってみたんですけど
あは。
で、
ジャニスにビジュアルも似てますよねーって言われるのは
喜んでいいのかどーなのか。。。
あれ?
んで、
なんの話でしたっけ?
あ、そうそう。
神無月。
そうなのです、
おいら神無月生まれなので
一歩間違えば
カンナちゃ〜んって
名付けられてしまうところだったわけで。。。
その他にも
秋に生まれたから『秋美』ってのも有力候補だったらしいけど。。。
もし秋美だったら
キミーとかって呼ばれてたんでしょうか
はたまたアッキーとか。。。あは。
いやいや、だから、
そう、カンナちゃん。。。
ってか
いつになったら
『サザエさん』が出てくるんですかぁぁぁ?
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はい
みなサミ、
こんな感じでよろしくて?
みなサミも
だいぶ慣れてきたか
もしくは飽きてきたか
もとい、
おサミぶりにこの強引なフリをしたからには
きっちりオチつけとかないとっていうプレッシャーも
なきにしもあらずんば☆
サザエさんは実は
10月生まれなのだぁぁ。。。!!???
とかって
オチで終わろうってのでは決してなく、、、
サザエさんってば永遠の20代つながり〜!
ふんがふふっ
ってとこを広げたいわけでもなく
もっと単純に
音楽的な方向へいくんですよね
(えー?まだひっぱるんですかー?)
*******
(はい、ひっぱりましたが。)
やっと、はじまりますよぉ。
そう、
季節はちょうど神無月、、、、
あー、もうめんどくさいので
ずばり10月26日。
そう、おいらの誕生日です。
(な、長かった、、、やはり長月、、、じゃなくて神無月・・・あーん。ごめんなサミ。)
もとい。
それは、おいらが
ねーちゃんちに転がり込んだ年のこと。
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そうなんです。
何をかくそう
おいらの初めての東京見物は
『銀パリ』
だったんですよ
銀座デビュー!Fu〜!!
ええ。
これは一足早く東京に来て社会人になっていた
姉ちゃんから妹への
洒落た誕生日プレゼントだったわけなのですよー!!
おいらは当時
シャンソン。。。って聞いて
本気で
『えっと、それはお酒の一種???』
・・・的なノリだったわけで。
ま、姉ちゃんの方も
社会人になったばっかりとはいえ
妹の前でヘタはこけないというわけで
『東京の歩き方』で
事前に必死で勉強してくれておりました。
あの頃はまだネットが普及してなかったですからね。
ま、その『銀パリ』というお店が
当時、東京でシャンソンといえばココ!みたいな感じで
格調高き有名な老舗、、、Gパン不可。。とかって
書いてあったらしく、、
姉の指導のもと
髪
をセットしてドレスアップして
銀座の街へ出かけたわけなのデス
今思うと微笑ましい想い出話なのですが
お
店に入った瞬間
姉を信じた自分を呪いま
した。。。
ええ、
我
々をとりまく微妙な空気。
だ、、、誰も、ドレスなんか着てないじゃん?!!
(明らかに我々二人、浮きまくってマス)
ヒョエ〜〜〜
でも、ま、結果的に
その浮きまくったのが
目立ってよかったのでしょーか
ステージに立っていらしたボーカルの女性が
おいらたち姉妹に向かって
にっこりと微笑んでくださったわけなんです。
そして休憩時間にそのボーカルの方は
我々のテーブルにやってきて
声をかけてくれたわけなのでした。
そうです、お待たせしました!!
このボーカルの女性こそ、
日本国民なら誰でも知っている
あの サザエさん のテーマソングを歌っている
『宇野ゆう子』さん、
その人だったのですぅ〜〜〜!!!
わー。パチパチ☆
(やっとたどりつけまし たぁぁぁ、よかったよかった★)
いやはや、
その、ころころと笑いながらしゃべる様子は
まさにテレビの中の
『サザエさん』そのもの!!
その気さくな雰囲気に
すっかり打ち解けた私たちは
お店が終わった後
ずーずーしくも
姉妹そろって
ライブの打ち上げとやらに
参加させてもらったわけなのデス
あ。『ライブの打ち上げ』っていっても
ワタミとかシロキヤとかそんなんじゃないんですのよ!!
な、なんと、
あの、高級なお寿司屋さんの、
『銀座久兵衛(キュウベエ)』ですのよぉぉぉ!!!
おまけに
何でも好きなものを注文していいわよ♪
ですってぇぇぇ?!
ほんじゃ、遠慮なく
車エビ、ボタンエビ、甘エビ、
チェイサーに普通のボイルエビ、
甘エビリターン、
振り出しに戻って
車エビ、ボタン。。。。
う〜む
パラダイス銀座・・・(あ。古い?^^;;;;)
もとい。
いやはや。
おいら将来歌の道に進むかどうか、、、なんてことを
ふわっと考えていた時期だったので
ゆう子さんはいろんなエピソードやアドバイスなど含め
たくさんのエビを、、、でなくて、話題を提供してくれたのでアリマした、まる
*******
さて、時は流れて
話は帰りのタクシーへ。
当時のねーちゃんちと
ゆう子さんのうちが
実は同じ沿線上にある?!ってことが判明して
あら〜、通り道だから乗せてってあげるわよぉぉぉ〜
と
帰りの足まで
面倒をみてもらったわけなのデス
そう、
東京でタクシーデビュー!Fu〜!!
しかも長距離〜!Fu〜!!
いやぁ、夜景も楽しめて
いい日でした!!
ちゃんちゃん。
って
ここで終わっても充分なのですが
なんと
さらに大オチがあるのデス
なんと驚くなかれ
↓
タクシーを降りる瞬間
↓
ゆー子さんは
↓
『あ、ちょっと待って』と私を引き止めて
↓
『これ、ハダカで悪いけど・・・』っておっしゃいながら
↓
↓
↓
↓
金壱萬円
を
握らしてくれ たのですぅぅぅ!!
え〜〜〜???
『お誕生日おめでとう。これからも頑張ってね。』
ふぎゃ〜〜〜〜!!!!
この先これっきり〜これっきり〜もう〜これっきりってことになるかもしれないこんな小娘に対して
天下の聖徳太子(←まだそんな時代でした)!!
いやはや、恐るべし。
その頃のおいらにとって
聖徳太子なんぞはめったに拝んだことがなく、、、。
お年玉ですら
岩倉具視(← そんな時代でした)レベルであったのに
惜しげもなく厩戸皇子(← まだひねるか)をくれるなんて人は
まるで神・・・
あ。『神在月』。。。? (ボソッ)
↑
なーんてオチはいかがでしょ?
(よっ!座布団一枚っっっ!)
もとい、
あれ以来、ご本人に
お会いしてないんですけど
ええ。
そのあと一旦おいらは鹿児島に戻って
すかいらーく鴨池店と
MBC南日本放送で
じゃんじゃんバリバリ働いて
ついでに家庭教師を3つ掛け持ちして
資金を溜め込んで
大学を休学して
イギリス行って台湾人のリーチェンと仲良くなって
イタリアのミケラんちに居候して
(*ドレミページ参照)
帰国してからは
鹿児島には戻らず
なんだかんだで東京で音楽活動をはじめて
現在に至るわけなんですが
もし、あのとき銀パリで
ゆう子さんと出会ってなければ・・・
そう。
東京という街で
プロとして歌を歌って生きているゆー子さんのあのお姿を見ていなければ・・・
なんて考えてみたり。
この先果たして
あのときのご恩返しとかできる機会があるのかないのか
ゆう子さ〜ん!!お元気ですか?!
(笑)